お隣の木村さんから教えて頂いて読んだ、坂口美千代夫人著の「クラクラ日記」の中には
昭和25年頃の町の様子も書かれていて、伊東の人間には懐かしい事柄もたくさん出てきます。
安吾が住んでいた頃の伊東は、まだ田んぼ だらけでした。
ここから大川沿いを真っすぐ下ると海岸に出られます。
当時は川側に柵もなく桜と萩の木が植えられているだけで
遊覧道路と呼ばれていた道を安吾も歩いたことでしょう。
今は遊歩道として整備され、春には桜並木として人気です。
夕方からは竹細工の優しい明りでライトアップされています。
地元の人に人気のウォーキングコースでもあります。
歩いていると鴨や鷺の他に、カワセミもよく見かけます。
あんなに鮮やかな色なのに、意外に目立たないのが不思議です。
鳴き声が聞こえると、つい立ち止まって探してしまいます。
カワセミは鳴きながら飛ぶので、慣れると見つけ易いのです。
野鳥を撮るには絶好のポイントです!
遊歩道を歩くと垣根越しに大きな敷地が見えます。今は私立幼稚園ですが、
大正時代には有名な北里研究所の北里柴三郎の広大な別荘地でした。
北里氏は当時近くの小学校に通学するための橋が危険だったので、自費で
通学橋を架けて下さったのです。台風で橋が壊れると再度架け替えてくれたそうです。
北里氏も伊東の恩人です。
遊歩道を抜けて少し歩くと海が見えてきます。
浜にはいくつもボートが裏返して置いてあり、手漕ぎのボートを貸し出しています。
伊東の海岸には、何軒かの釣舟屋があって観光用の釣舟の他に、夏には海の家を営んでいました。
安吾は伊東に来た当初、よく客人達と海遊びに出かけたそうです。
本人は海に入らず、一人浜で見物していたと言います。
その頃よく利用していたのが釣舟「つる吉丸」さん。
カネセンもこの頃海岸通りに店があり、すぐ近所でした。
今から30年前頃のつる吉丸さんは、腰がほぼ90度に曲がった姿で仕事をこなし、
遠くから見てもすぐわかりました。安吾の出会った時は、若々しい青年だったことでしょう。
地元の人もボートを借りてキス釣りなどに出かけます。うちでも家族がよく利用していました。
夕方帰りが遅くなると心配したつる吉丸さんが「しんぼう、いいなぁ」と言ったとか。
安吾の「肝臓先生」は天城先生が流行性肝炎と戦った話ですが、漁師の面白い特徴や
伊東の町の様子なども書かれた秀作です。青空文庫でも読めますので、おすすめですよ。