1. 安吾の住んだ伊東の家 

投稿者: | 21/01/01

 カネセン商店は、創業以来ずっと海岸通りにありました。
国道135号線を挟んで、すぐ目の前は海!
正面に初島、手前右には手石島。
海岸の干物干し場には、ズラリと干物が並んで見事でした。
現在は、伊東市桜木町のホテルニュー岡部に近い川沿いです。
伊東大川の岡橋から少し川上にあります。

 実は、ここは昭和24年12月から、作家坂口安吾が暮らした場所です。
三千代夫人の言う「川っぷちの黒い小さな家」のあった所です。
阪口安吾は昭和24年8月に療養のために伊東へ転居しました。
 
 古屋旅館に1ヶ月滞在した後旅館の食事に飽きて、秦邸の2階に間借りし
その後石原別荘へ転居します。最後に住んだその家は、
小さくても一軒家だったので夫人が気に入ったとのこと。

安吾の代表作「堕落論」新潮文庫に載っている写真、
「昭和25年、伊東市の自宅近くでキャッチボールに興じる安吾と
そばで見ている三千代夫人」はこのあたりで撮ったのだろうと思います。
 その跡地が現在の「カネセン商店」干物専門店です。

当時の地図

 この辺りは昔から別荘が多く、古い地図を見ると○○別荘と書かれた家ばかりです。
当時、数軒先には三浦家の別荘があり、東条秀樹のご長男一家が住んでいました。
川向には若槻礼次郎元首相の豪邸、高級旅館の伊東わかつき別邸として有名です。
今は営業していませんが、通り沿いに見える入り口の風情は昔のままです。

 三千代夫人が、お風呂に出る温泉のお湯がぬるくて苦労したと書いてあるのには笑いました。
もともと37~38度位の温泉なのです。伊東の別荘は、土地柄で温泉付きが多く、
ここにも共同の源泉がありました。塩分も少なくて、冬場に洗い物をするのに重宝でした。
私たちもお風呂だけは湯沸し器で温めて使っていました。

余談ですが、温泉と水道は同じ蛇口の混合栓には出来ません。水圧が違うからです。
また、温泉は止めておく事が出来ません。基本出しっぱなしです。使わない分は捨てているのです。
源泉掛け流しとは贅沢な話ですね。

 療養のために伊東に来た安吾でしたが、暖かい伊東の気候でみるみる健康になったと
本人も言っています。温泉や後に紹介する肝臓先生も貢献したことでしょう。

 安吾は散歩するのが日課で、よく一人で山歩きをしたそうです。
散歩で見つけてきては、夫人を河津三郎の墓や葛見神社の大クスノキなどに案内したといいます。
伊東に競輪場が出来てからは、二人でよく出かけたそうです。
ここから競輪場までは、川沿いに歩いて行けます。
安吾は競輪に熱心に通うようになりますが、綿密に調べて予想をする事自体に熱中したようです。
三千代夫人に、本職の予想屋が聞くほどの確立だったとか。
他に娯楽の少ない土地で、競輪は良い気晴らしだったのでしょう。

【新事実!】当時から隣に住んでいた木村さんに聞いた話です。
 安吾は、昭和26年9月に有名な競輪事件で伊東を離れる事になります。
 その時、誰にも内緒で安吾を車に乗せていったのが、タクシー運転手だった木村さんのお父様です。
 お父様は安吾と約束したので、行く先は家族にも教えなかったそうです。
 記録には残らない、貴重なお話ですね。

 本によると、その後文春の田川氏、佐佐木氏と一緒に夫人と犬を迎えに来て壇一雄氏宅へ。
 そこで、あのカレーライス事件となります。ファンの方ならご存知ですね。