大河ドラマで活躍中の八重姫。伊東の領主、伊東祐親の娘です。
祐親が仕事で3年間留守にした間に、流人として預かっていた頼朝と恋仲になり千鶴丸が生まれます。
伊東の留守を預かっていたのは祐親の次男、伊東祐清。妻は頼朝の乳母、比企尼の娘です。
頼朝の側近、安達藤九郎の妻も比企尼の娘でした。
八重姫の世話をしていた二人は姉妹ということになります。
伊東に戻った祐親が千鶴丸の存在に気づき、激怒します。平家に対して都合が悪いからです。
そして千鶴丸を川に沈めて殺したという事になっていますが、千鶴丸はひっそりと逃がしたという話もあります。
そばに比企尼の娘が二人もいたのです。殺したとの噂だけを流して、千鶴丸は助けたと言うのです。
「千鶴丸生存説」は、江戸時代から いくつもあったようです。
加藤先生によると 中でも有名なのは奥州の旗本、本堂氏説。
頼朝の五百回忌の時、
「千鶴丸の子孫である本堂家の方が兄筋に当たるので先に焼香を行うように」
と島津家より言われたとの話があるそうです。
その薩摩の島津家の初代、忠久もまた源頼朝の隠し子です。
島津系図で忠久は源実朝の弟とされ、鎌倉にある「源頼朝の墓」は島津家の建てたものです。
島津忠久の母は、比企能員の妹で丹後の局。
頼朝との子をもうけますが、妻の政子を恐れ上方へ逃れて出産します。
その子が忠久です。驚いたことに忠久が千鶴丸との説もあるそうです。
同じく九州の戦国大名、大友宗麟(そうりん)の始祖大友能直も頼朝の隠し子で
この人こそ千鶴丸と言う研究者もいて、今も真実は謎のままです。
それにしても「隠し子」多すぎますよね。
大河ドラマでは主人公の北条義時(江間小四郎)と八重姫が結婚し、子供が産まれました。
八重姫が千鶴丸の霊を弔うために建立した最誓寺の入り口には、義時と八重姫の案内が
書いてあります。
実は八重姫の再婚相手は、江間の誰かであることは記録にありますが
それが義時であったかどうかは、正確にはわかっていません。
また、八重姫は頼朝と引き離され、子供を殺された悲劇のヒロインとして
自殺したとの言い伝えが残っている場所もあります。
曾我物語はあまりに長い年月、歌舞伎などで人気の演目だった為
その時代時代で多様な演出がされてきたのだそうです。
八重姫にも語り継がれてくるうちに、色々な説も生まれたのでしょうか。
今回の大河ドラマでは、今風の八重姫に描かれています。
どんな形であれ祐親や八重姫を皆さんに知って頂き嬉しく思います。
最誓寺はカネセン商店の店舗のすぐそばです。
店に”ゆかりの地”の案内地図も印刷してあるのでご利用ください。