今日8月24日は、童謡「みかんの花咲く丘」が生まれた日。
と、今朝の地元紙にお菓子屋さんの広告が載りました。
それによると、75年前の今日、加藤省吾氏が故郷である静岡の
みかん畑を想い書き上げた詩に、海沼 実氏が 伊東へ向かう
汽車の中でメロディーを紡ぎ生まれたのだそうです。
翌日、NHKラジオ番組で人気歌手 川田正子さんの歌声とともに
伊東から日本中へと流れた歌は、空前の大ヒットとなり
戦後の日本に笑顔と元気を届けたとの事。 歌えますよね?
さて、所領争いの恨みから伊東に攻め入って祐親を討とうと
した祐経に対し、祐親は「娘をこのような不心得者と一緒に
しておくわけにいかない」と祐経の妻である自分の娘を
伊東に連れ帰ってしまします。
妻まで引き離された祐経は、ますます恨みを募らせ、あの
「奥野の巻狩り」の帰り道で部下に祐親の長男を殺害させました。
祐経にとって叔父であり、養父であり、姑であり、烏帽子親である
祐親に対して、あまりにもひどい行動です。
ですが、「伊東祐親」の著者加藤先生は、
幼い時から京で何不自由なく育ち、複雑な事情を知らない青年が
あのような行動に出るのは、ある程度やむを得なかったのだろうと
推察し、祐経は自ら墓穴を掘ったのだろうと書いています。