伊東をめぐる所領争いの始まり

投稿者: | 21/06/27

 伊東を継いだ、その祐継もまた早死にしてしまいます。
祐継にも幼い息子がいました。

死期の近づいた祐継は、
「幼い我が子の後見をして、将来は祐親の娘と
 結婚させてほしい。くれぐれも伊東の庄と我が子を頼む」

との願いを祐親に託して亡くなります。

なんと虫の良い願いとも思うが、祐親は受け入れます。
祐親は、やっと本領の伊東に戻る時が来たのです。

 祐親は、9才の金石丸(後の祐経)親子の面倒を見ながら
葛見の庄(伊東全体)を支配し、金石丸が14才になった時
烏帽子親となって元服させ工藤祐経と名乗らせました。

 そして約束通り祐経と自分の娘を結婚させ、遺言に従い
京都へ連れて行き武者所に勤めさせます。

さらに祐経が京都で優雅な暮らしをしながら勤められるだけの
仕送りもしていました。

おかげで祐経は、平家や貴族の家にも出入りし、都で詩歌管弦なども
学び、鼓の名手としても名高く、これが後に頼朝に珍重され、
身を助ける役にもたっているのです。

 ところが母の死後、自分に領地の「ゆずり状」があるのを知って
裁判に訴え、伊東を祐親から取り戻そうとしたのです。

領地をめぐっての裁判は、何年も長引いた末、半分づつにとの
判決が下りました。

 これを不服に思った祐経は、祐親を恨み「憎い祐親を討って、
所領をひとりじめにしよう」としたのです。

祐経は、二百人程の者を集めて攻め込もうとしますが、
祐親の方でも縁者を集めて用心したので、伊豆に入ることが
出来なかったと曾我物語にあります。

   続きは次回に