さて、今月は22日、23日に祐親まつりが行われます。
松川に薪能のための水上舞台が造られている最中です。
平成25年に発行された「伊東祐親」作者の加藤 清志先生は、
元中学校の先生です。
伊東市史編集委員で92歳の現在もお元気です。
著書「伊東祐親」の中から面白い話をご紹介しますね。
伊東家のルーツは、古くは藤原鎌足から始まり、その子孫が
伊東に本拠を移して以来「伊東氏」を唱えたそうです。
この時代は、同じ一族でも狩野に本拠を置けば狩野氏、
伊東に本拠を置けば伊東氏、伊東氏の長男でも
河津に本拠を構えれば河津と名乗る… ややこしや!
本を読むまでは、伊東氏が治めたから「伊東」かと
思っていましたが、奈良時代には既に、
伊東、宇佐美、河津の地名はあったのですね。
また同一人物に複数の名前が使われていました。
伊東祐親は本来長男ですが、父が亡くなった時に
まだ若かったので、叔父が家を継ぎました。
祖父が祐親に河津の庄だけを与えて、叔父の弟分
扱いをしたため、河津二郎と名乗っていました。
後に祐親の長男、祐泰が河津三郎と名乗ったのは
父が二郎だったからです。
一方、伊東家を継いだ叔父の祐継も長男では
ないので伊東二郎と唱えた… ややこしや~ ‼
続きは次回に