「青い目のサムライ」として有名な三浦按針

 伊東市桜木町から歩く観光案内の続きです。

   前回、按針メモリアルパークまでご案内しました。

按針像とリーフデ号
按針像とリーフデ号
モニュメント
モニュメント

 今日は「青い目のサムライ」として有名な三浦按針をご紹介します。
 英名ウィリアム・アダムスは、徳川家康の下命により
 ここ伊東で、「日本で初めての洋式帆船造り」を行いました。

 アダムスは、1600年に300tの大型船、オランダのリーフデ号
 日本に漂着した英国人航海士です。

 徳川家康に気に入られ、幕府の外交顧問としても重用されました。
 
 1604年、海上運送の必要性を感じていた家康は
 アダムスに日本初の洋式帆船の建造を命じました。

 伊東の松川河口の砂洲を利用した「砂ドック方式」の造船です。
 
 このとき建造した80tの帆船に家康も試乗し、大いに喜んだそうです。
 翌年には、外洋に出られる120tの大型船もこの地で建造しました。
 

記念碑
記念碑

 1605年、家康はアダムスに、三浦郡逸見(現在の横須賀市の一部)に
 領地250石と刀と、三浦按針という名を与えました。

 按針には水先案内人という意味があるそうです。
 こうしてアダムスは「青い目のサムライ」となるのです。

案内版
案内版

 江戸商人の娘と結婚し二人の子にも恵まれましたが、
 家康の死後、不遇な晩年を送り
 1620年に長崎県平戸で生涯を閉じました。

 按針の子孫については、記録がないそうです。
 が、面白い話があって
 
 だいぶ前のテレビ番組で 樹木希林さん
 自分は按針の子孫ではないか と云ったとのこと。
 調べても分からなかったそうです。

 按針の波乱に満ちた生涯は大河ドラマ並みです。
 実際に地元では、大河ドラマにと要望する声もあります。

 伊東市では毎年8月に、「按針祭」が行われます。
 8月10日にはメインイベントの 海上花火大会!

 海上花火は見ごたえがあり、賑わいます。
 砂浜から見る花火は近くて音も迫力満点、格別ですよ。

「青い目のサムライ」として有名な三浦按針」への11件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です